ep2:"寒空の少女" sec-5

翌日の昼。 提出を終えた研究室には、久しぶりに静かな空気が戻っていた。 大学側からは受領の連絡も入り、大きな修正依頼もない。 大きなヤマを乗り越えたStellaは完全に気が抜けきっている。 Stella「終わったぁ……」 Veris「なんとか間に合いましたね…」 「なんとか」という言葉の裏には、誰のおかげで間に合ったのかという事実が重く横たわっているが、Verisはあまり考えたくなかった。 Stella「今日はもうお休み!おでかけしよ!」 Veris「ですが、研究室の片付けが」 Stella「明日!」 Veris「……まあ流石にですね」 口では乗り気でないものの、二人して外に繰り出すまではさほど時間もかからなかった。 ------------------------------------ 大学の近所のショッピングモール。 雪はまだ残っているが、空は綺麗に晴れている。 久しぶりにゆっくり歩く街並みは、少しだけ新鮮な気がした。 Stella「じゃあ、一時間くらい自由行動で!」 Veris「迷子にならないでくださいね」 Stella「ならないよぉ!?」 二人は別々の方向へ歩き出した。 ------------------------------------ Stellaは特に目的もなく歩いていた。 行きつけの焼き菓子屋を覗いた後、いつもの魔道具店を眺め、ふらふらと公園へ入っていく。 冬の日差しは弱いが、風は昨日ほど冷たくない。 Stella「こんな平和な日は久しぶりだな~」 そう呟きながら歩いていると、ふと、公園のベンチが目に入る。 そこにいた人物を見て、思わず立ち止まる。 Stella「…いまのなし」 Evaがまるで研究室のソファの上かってくらいふやけた表情で日向ぼっこをしていた。 Stella「ちょっとー家出娘!!」 Eva「……」 Stella「帰ってこないから心配してたんだよ!!」 Eva「うるさい」 Stella「ずっと探してたんだから!!」 Eva「手にたい焼き2つも持ってる奴は探す気なんてないだろ」 Stella「えへへ…」 Stellaはその前へしゃがみ込み、たい焼きを渡しながら告げる。 Stella「昨日はありがとう。なんとかなったよ」 Eva「そう」 Stella「いやもっとあるでしょ!!」 Eva「何」 Stella「お疲れ様だとか!」 Eva「あの小娘みたいな事言うようになったな」 Stella「ちょっとー!」 怒る様子は無いが、やはり避けては通れない話題だった。 Stella「はぁ… 別の事が大変なことになっちゃったね」 Eva「まあそうか」 Stella「Verisちゃん、すっごい怒ってたね」 Eva「怒られた」 Stellaは膝を抱え、少し真面目な顔になる。 Stella「全部知らないままだからねぇ…」 Eva「知る必要もないだろ」 Stellaは昨日のVerisの表情を思い出す。 怒り。失望。そして最後に見せた複雑な顔。 Stella「…誤解したままだよ」 Eva「誤解で困ることない」 Stella「…ある」 Eva「例えば」 Stella「Verisちゃん、Evaのこと本気で嫌いになってしまうよ」 Evaは少し考える。 Eva「…別に」 Stella「よくないよ!!」 Eva「困らん」 Stella「私が困るの!!」 Evaは横目でStellaを見る。珍しく真剣な表情だ。 Stella「二人とも、大事な人だからね。また私を一人にさせる気?」 風が吹き、公園の木々が静かに揺れる。 Stellaの言葉は流石に冗談と分かるものの、重いものは重い。 Eva「……恩を売るのは嫌いなんだって」 Eva「ああいう奴は、私が助けたなんて知ると一生背負い続ける。というか事実を知った明日の晩には、罪悪感に押し潰されていなくなってるだろう」 Stella「…」 Evaは昔からそうだった。 他人の評価に興味がないし、褒められると面倒そうな顔をする。 そのことは一番Stellaが知っている。だからこそ、譲れないものもあった。 Stella「でも、今回は違うと思う」 Eva「何が」 Stella「Verisちゃんが知りたいのは、恩じゃなくて」 Stella「……本当のEva」 その一言にEvaは苦笑する。 Eva「…そんな大層なもんじゃない」 Stella「そうだもん!」 Eva「あー…」 Stellaは困ったように笑う。 Stella「……ほんっと頑固!」 Eva「向こうもだな。流石に私は大人げなさがあるが」 少し間が空く。Stellaはベンチへ腰掛ける。 Stella「……話す?」 Evaは即答しなかった。珍しく長く考えている。 Eva「……言わなくていい。知ったところで、あいつの性格なら今度は恩返しで無理するに違いない」 Stellaは反論できなかった。 容易に想像できる。 Verisなら、「命を救われた」と知った瞬間、今以上に自分を追い込み始める。 Eva「悪者になるのは私だけでいい」 Stella「よくないよぉ……」 Stellaは腕を組みながらウンウン唸っているが、全てが丸く収まるやり方なんて見つからなかった。 Eva「……眠」 Stella「話終わってないよ!」 Eva「終わらせてくれ」 Stella「終わってないって!」 Eva「…だる」 そう言うと、目を閉じてわざとらしく寝息を立て始める。 Stellaは呆れたように笑うしかなかった。 Stella「もう……どうして肝心な時だけ、頼りになっちゃうんだろうね」 返事はない。 冬の日差しの下、Evaは何事もなかったように寝たフリを続けていた。 ------------------------------------ 冬の日差しを浴びながら、Stellaは未だ答えの出ないことを考え続けている。 Stella「やっぱり、言わないままでいいのかなぁ……」 Eva「……」 Stella「でも、このまま嫌われたままなのも」 Eva「別に構わん」 Stella「私がだめなの!」 Eva「はぁ…」 二人とも結論が出せないままただ時間だけが過ぎていくその時だった。 「Stellaさん!」 背後から声がして、二人が振り向く。 Verisだった。 大きな試練から解放されているはずなのに、顔付きは妙に冴えたままだった。 Veris「……いた」 その冴えた表情が次第に張り詰めた表情に変わっていく。 Eva「Veris。どったの」 Veris「どうしたの、ではありませんよ」 視線は既にStellaより先にEvaへ向いている。 Veris「話がまだ終わっていませんよね」 Evaが露骨に面倒そうな顔をした。 Eva「もう提出終わっただろ」 Veris「だからそういうとこでしょうが!!」 Stellaは相変わらずオロオロしている。止められるわけがないと知っているので。 Veris「昨日のこと、発表前に出ていったこと、深夜にデータだけ寄越したこと、全部含めて説明してもらいます」 Eva「ほんとめんどいねあんた」 Veris「黙りなさい!!」 Stella「Veris…ちょっと場所変えてから」 Veris「駄目です、今じゃないとまた流されます」 はっきり言い切られて、Stellaが口をつぐむ。 Eva「……で、何から話せばいいんですか」 Veris「まず、私達が大変だったにも関わらずあなたはこんなとこで何をしてるんですか」 Eva「何をしてるって言われても…」 Verisが一歩詰め寄る。その距離の詰め方に、前みたいな遠慮はもう残されていない。 Veris「私は、あなたのことを何も知らされていません。なのに助けるようなことだけして、でも説明はしない、責任も取らない、都合が悪くなると出ていく…」 Veris「こっちは、ずっと振り回されてるんですよ……!いい加減にしてください!!」 Evaは何も答えずゆっくりと目を閉じるだけ。その態度が、Verisには何より腹立たしかった。 Veris「……またです」 拳を握る。 Veris「また逃げる」 Veris「また何も言わない」 Veris「そんな方が!!!」 感情のまま、一歩踏み込んだ。 その瞬間だった。 上のほうでみし、と鈍い音がした。 三人とも、反射的に頭上を見上げる。 ベンチ脇に立っていた古い木が、根元の泥ごとゆっくり傾いていた。 湿った地盤と雪解けで浮いたのか、幹が明らかにずれている。 Veris「え」 Evaの顔色が変わる。 「下がれ!!」 叫んだ時には間に合わなかった。 ぐしゃ、と根が抜ける音と共に、直後、重い幹が横倒しに滑り落ちてVerisの身体を横から強く薙いだ。 華奢な身体が地面へ弾かれ、湿った石畳に叩きつけられる。 Veris「っ、ぁ……!」 Eva「クソ……Stella救急キット探してこい!!」 Stella「う、うん!!」 彼女はさっきまでのだるさも、投げやりさも、一瞬で消えていた。 即座にVerisのそばへ滑り込み、枝を押しのけ、身体の位置を確認する。触れ方に一切の迷いがない。 Eva「Veris、聞こえるか?」 返事はない。目は開いているが、焦点が揺れている。 Eva「……ちっ」 Stella「持ってきたよ!!!」 Eva「よし……死ぬなよ」 Verisはそのやり取りを遠くで聞いた気がした。 Veris「Eva……さん……」 Eva「喋るな!!!じっとしてろ」 Veris「……痛い……」 Eva「呼吸は浅くしろ。ゆっくりだ。勝手に起きようとするな」 指示が鋭く短い。けれど冷たくはなく、ただ淡々としているのみ。 薄れゆく視界の中でVerisはぼんやりと、その顔を見つめていた。 いつもの、ソファに沈んでいる人。適当に返事をして、散らかして、面倒そうにしていた人。 なのに今、目の前にいるのは全然違う。つけていたマフラーを乱暴なくらい素早く外し、圧迫の位置を確かめる。 手に血がついてもまるで気にしていない。Verisが初めて見にする、彼女の本気の姿だった。 Eva「Veris、私の顔分かる?」 Veris「……Evaさん……」 Eva「よしいい子だ、すぐ終わるからな…頑張れよ」 そう言って支える手つきが、妙に正確で、無駄がなくて、優しい。 Verisの頭はそれを理解しきれない。 なんで。 なんでこの人が、こんなふうに動けるのか。 なんでこんな声を出すのか。 なんでこんな顔をしているのか。 さっきまでと、今と、これまでの全部がうまく繋がらない。 Veris「……なんで……」 掠れた声が漏れる。Evaは一瞬だけいつもの調子に戻る。 Eva「今それ聞く?」 Veris「……ぁ…」 Verisの視界は徐々に、白っぽく霞み始めていた。 木々の枝と、曇った空と、Stellaの青ざめた顔。 胸のどこかが焼けるみたいに痛い中、何故か意識の中心は措置を続けるEvaに向いていた。 この人は誰なんだろう。 居候?だらしない人?無責任な人?信用できない人? そのどれも、今目の前にいる姿と噛み合わない。 Veris「……わか……な……」 Eva「何考えてんの!今は呼吸だけして」 Veris「……なん、で……」 徐々に視界が暗くなっていく。Evaの手が、血のついたままVerisの頬を軽く叩くがもはや感覚など感じられない。 Eva「寝るなって言ってるだろ!!!!」 その声だけは、強くて、必死だった。でももう届いていなかった。 何もかもがごちゃごちゃになったまま、Verisは最後にもう一度だけ思う。 なんで。 なんで、この人が。 そう思い続けたまま、視界は暗く途切れてしまった。 ------------------------------------ 研究室の明かりは半分だけ落とされていた。暖房の音が、夜更けの静けさの中でかすかに鳴っている。 窓の外は真っ暗で、雪明かりももうほとんどない。 Verisが意識を浮かび上がらせたのは、そんな深夜だった。 最初に感じたのは、鈍い痛みだった。 腹の奥と脇、それから胸のあたりまで、息をするたびに重く軋む。身体のどこをどう動かしても無傷の場所がないみたいだった。 「……っ」 小さく息が漏れる。その音で、傍らの気配がすぐ動いた。 「起きた?」 低い声。目を開けると、ベッドの横の椅子にEvaが座っていた。 いつものだらけさは消え、ただ静かにこちらを見ている。疲れているはずなのに、不思議なくらい目だけは起きていた。 少し離れた位置では、別の椅子に座ったままStellaが寝落ちしている。毛布を肩に引っかけたまま、机に頬をつけるようにして眠っていた。 Verisはゆっくり目を瞬かせる。 Veris「……ここ……」 Eva「運んできた。あまり良い状態ではない」 Veris「……私……」 Eva「倒木で吹っ飛ばされた」 記憶が蘇る。幹の影。鈍い衝撃。地面。血の匂い。 そして、その直後のEvaの顔。 Veris「Stellaさんは……」 Eva「無事。かすり傷もない」 Veris「……よかった……」 Eva「まず自分の心配をしてくれないか」 小さく返したあと、Evaはコップに入れた水を差しだす。 Veris「……ずっと、いたんですか」 Eva「いたけど、Stellaはついさっき限界来ちゃって」 Veris「……あなたは」 Eva「これは…義務みたいなもんだから」 Evaがちょっとはっとした顔になる。Verisももう、聞かずにはいられなかった。 Veris「あなた……あの時私を……」 Eva「……だろうね」 Veris「……」 Eva「……見られた上で今さら“たまたま応急措置できる居候です”は無理があるか」 その口調に、Verisは少しだけ目を閉じる。責めたい気持ちもあるはずなのに、今はそれより、答え合わせのほうが先に来ていた。 Evaは遂に観念したかのように、告白する。 Eva「全部言う。雪の中で見つけた時も、さっきの応急も、私がやった」 そこまできっぱり言われると、Verisは逆に息を止めたみたいに黙った。Stellaの寝息だけが、少し離れた場所で小さく聞こえている。 Veris「……そう、ですか……」 短い沈黙。Verisは視線を毛布の上へ落とした。 …謝るべきなのか、怒るべきなのか、礼を言うべきなのか、その全部がぶつかってうまく出てこない顔。 Evaはそれを見て、小さく息を吐く。 Eva「今の顔、何を考えてるのか誰でもだいたい想像つくね」 Veris「……何も、整理できてません……」 Eva「だろうね」 Veris「……怒るべきなのか……お礼を言うべきなのか……」 Eva「どっちも後でいい」 Veris「……でも……」 Eva「今は喋るだけで消耗してる。無理に結論出さなくていい」 その言い方が、妙に静かだった。 淡泊さは変わらないが、いつものように投げやりで無責任な言葉ではなかった。 Veris「……あなたは……何者なんですか」 Evaは少しだけ天井を見てから、視線を戻す。 Eva「元々医者だった。まあ昔の話で、今は表の場にはいない」 Veris「……元、医者……」 Eva「そう。居候は半分本当。研究室に住んでるのも本当。Stellaのところに転がり込んだのも本当」 Veris「……でも……」 Eva「でも、ただのサボり魔ではなかったと言いたいのか?」 さすがに少し棘があったかとEvaが少し目線を落とす。Verisは目を伏せる。 Veris「……私、かなり……あなたの事を…」 Eva「知ってる」 Veris「……どうして、隠してたんですか」 Eva「……私はあんまり恩義とか借りとか、そういう関係が好きじゃない。“命を救った側”と“救われた側”って、下手するとそれだけで関係が歪むから」 Eva「依存とか、過剰な感謝とか、面倒が増える。あんたの場合は尚更でしょ」 残酷なほど説得力のある言葉に、Verisは押し黙るしかなかった。 Eva「あと……外でやってることも、きれいな話じゃなかったから」 Veris「……仕事のことでしょうか」 Eva「あれ、非正規の手術でさ。病院で拾えない案件とか、時間がないやつとか、表に乗らない依頼とか。やりたくないのに呼ばれるから、行くしかないのよ」 Veris「……そんな……」 Eva「私が急にいなくなるのは、だいたいそれだったってこと。Stellaには黙らせてた」 思い返せば、全部繋がる。急な外出、帰ってきた時の消耗、説明しない態度。 Veris「……だから、あの日も……」 Eva「うん。あんたが最初に起きた夜、途中で呼び出されてさ。行かなかったらこんなことにはなってなかったかもしれないな」 Verisがまた表情を落とす。 Eva「昨日出ていったのも、あのままあんたとやり合ってるともっと嫌なことになってたはずだから。まあこうしてしまった私に責があるともいえる」 Veris「そんなこと!っ……痛っ……」 Eva「やめろやめろ、喋らんでいい。……私はだるいし、散らかすし、サボるし、面倒なことは後回しにする。そこは本当にそう。あんたが怒るのも当然だから」 Veris「……」 Verisは目を閉じる。頭の中で、ここ数週間の会話や表情や苛立ちが全部やり直されていくみたいだった。 Veris「……最悪です」 Eva「何に対してだ」 Veris「全部です……」 Veris「あなたが、そういう人だったのに、何も知らずに……あんなふうに……」 Eva「それは別にいい」 Veris「よくないです……」 Evaは背もたれにもたれず、前のめりにもならず、ただ同じ位置で座っていた。 Eva「知らないまま見えるものだけで判断するのは、普通。隠してたのはこっちだから、あんたに非はない」 Veris「……」 研究室の深夜は静かなままだ。Verisは眠っているStellaと、傍らに座るEvaを順に見つめている。 ようやく真実は出てきた。でも出てきたからといって、すぐに全部が綺麗に片づくわけではない。 Veris「……頭が、全然追いつきません……」 Eva「うん。今日はそこまででいいから」 Veris「……」 ベッド脇の椅子には、居候ではなく、元医者で、嘘つきで、だらしなくて、でも自分を何度も救った人が座っている。 その事実だけが、今夜ようやく形になっていた。 ------------------------------------ しばらく、どちらも何も言わなかった。 暖房の音。少し離れたところで眠っているStellaの寝息。 それだけが、深夜の研究室に静かに響き続けている。 Verisは毛布の上で指先を少しだけ動かし、それから止める。 痛みのせいだけじゃない。何か言おうとして、言葉の置き場を探している顔だった。 Evaは急かさず、椅子に座ったままただ待っている。 やがて、Verisが小さく切り出した。 Veris「……私」 声はまだ掠れていた。けれど今度は、途中で逃げるための言い淀みじゃなかった。 Veris「……最初に、ちゃんと話しておくべきだったかもしれません」 Evaは黙っている。Verisは天井を見るでもなく、Evaを見るでもなく、毛布の皺のあたりに視線を落としたまま続ける。 Veris「身元がないって、前にも言いましたけど……本当に、ないんです」 Veris「親も知りません。生まれた場所も、戸籍も、まともな名前も……最初から、たぶん何もちゃんとしてなくて」 Veris「気づいた時には、ずっと捨て子として生きていました。ずっと、です」 Evaのまなざしが、少しだけ静かになる。それでも口は挟まない。 Veris「寒いとか、空腹とか、そういうのもきつかったですけど……一番嫌だったのは、人でした」 Veris「優しくするふりをする人がいるんです。食べ物をくれたり、寝る場所を教えるふりをしたり……でも大抵、そのあとで条件がつく」 Veris「だからたぶん私は…曖昧な親切とか、何を考えてるかわからない人とか、そういうのにすごく過敏です」 そこまで言って、VerisはようやくEvaのほうを見た。 Veris「……あなたに、あんなふうに食ってかかったのも、たぶんそのせいです」 Evaは何も言わない。ただ、視線を逸らさずに聞いている。 Veris「だらしないとか、無責任とか……私はそういう言葉を、ずっと自分を守るために使ってきたんだと思います」 Eva「……」 Veris「ちゃんとしてるかどうか、責任を取るかどうか、言ったことを守るかどうか。そこが曖昧な人は危ないって、ずっとそう思ってきたので」 Verisは一度息を整える。傷が痛むのか、ほんの少し眉が寄る。 Veris「だから、あなたのことも……最初から、そこに当てはめて見ていました」 Eva「……うん」 ようやく、Evaが短く相槌を打つ。Verisはその一音を受けて、少しだけ続きを言いやすくなったようだった。 Veris「サボるし、散らかすし、肝心なところを誤魔化すし、質問しても適当に流すし……」 口元がわずかに歪む。 Veris「……正直、すごく苦手でした」 Eva「だろうな」 あまりにもあっさり返されて、Verisは少しだけ困ったような顔になりつつも、すぐまた真面目な表情に戻った。 Veris「でも、それだけじゃなかった」 Veris「私は、わからないものを全部悪いほうに寄せて見ていました」 倒木の直後に見たEvaの横顔が、まだ頭から離れない。 あの必死さ、あの手つき、あの声。それまでの印象と繋がらなさすぎて、むしろ強烈だった。 Veris「…あなたが何をしていたか知らなかった。知らされていなかった。そこまでは事実です」 Eva「うん」 Veris「でも、知らないまま決めつけて、怒って、責めて……それで自分だけは正しい側だと思ってました」 Verisの声が少しだけ震える。 Veris「…もちろん、今も全部納得したわけじゃありません」 Veris「でも……少なくとも、私は、知らないまま言ってはいけないところまで言いました」 あの時の言葉が、いくつも頭をよぎる。 信用できない。無責任。 それらを全部、事情を何も知らないまま決めつけていたこと。 Veris「命を救われたことがどうこう、という話はあなたが嫌うと思いますから、敢えて言いません」 Veris「でも、それを抜きにしても……あなたのことを、私は何も知らずに随分ひどく言いました」 そして、目を伏せて小さい声で、重く告げた。 「……本当にごめんなさい」 はっきりとした謝罪だった。 取り繕いでも、流れで出たものでもなく、きちんと自分で着地させた言い方だった。 ------------------------------------ Evaはすぐには答えない。 ほんの少しだけ顔を逸らし、眠っているStellaのほうを一度見て、それからまたVerisへ戻る。 許すとも、気にするなとも、謝るなとも言わない。ただ、Verisの顔を見つめていた。 その視線に耐えきれなくなったみたいに、Verisが少しだけ目を逸らす。 Veris「……何か、言ってくれませんか」 Eva「待ってくれ。今気の利いた言葉を考えてる」 Veris「そういう時だけちゃんと考えて…ずるいです」 Eva「私はずるいからね」 ごく小さく、いつもの感じに近い返しが混ざったことでVerisは少しだけ息をつくことが出来た。 やがてEvaは椅子の背に軽くもたれ、静かに言った。 Eva「別に、今さら急に敬われたいわけじゃない...さっきも言ったかも」 Verisが目を上げる。 Veris「……はい」 Eva「謝罪は受け取る。まずそこは終わり」 そこまで言って、一拍置く。 Eva「でも、だからって明日から態度全部変えられると困る」 Veris「え……」 Eva「困る。マジで」 言葉に棘は無いが、Evaは真顔のままだった。 Eva「お前のことだから明日から急に変に遠慮してきたり、敬語の温度上げられたり、“助けていただいた恩人”みたいな顔をしてくるに決まってる。それだけはマジで無理」 Verisが少しだけ呆然とする。 Veris「……そんなこと、しません」 Eva「もう顔に出てるんだよそれが」 Veris「そんなこと……」 Eva「だから、一つ約束してくれないか」 Veris「……?」 Evaはそこで、ごくわずかに表情を緩めながらも、真剣な表情のまま告げた。 Eva「これまで通りでいて。それだけ」 Veris「えっ…」 Eva「小言も言っていい。片づけろって言うなら言えばいい。ただ…変に距離を取られるのは一番望んでない」 Verisはしばらく、その言葉の意味を噛みしめるように黙る。 Veris「……資格があるのでしょうか」 Eva「何が」 Veris「私、かなり失礼でしたよ」 Eva「まあな」 Veris「かなり嫌な言い方もしました」 Eva「知ってる」 Veris「それでも……ですか」 Eva「それでも」 Evaはそこで、少しだけ視線を落とす。 Eva「今さらそこを全部なかったことにして、綺麗にやり直すほうが気持ち悪いから。だから、変に改まらなくていい。これまで通りでいい。」 Verisは目を伏せる。その言葉をどう受け取ればいいのか、まだ少し迷っている顔だった。 Veris「……これまで通り、ですか」 Eva「うん」 Veris「……また、サボっていたら言っても」 Eva「どうせ言う羽目になるよ。何回見てきたの」 Veris「…散らかしてたり、昼寝してたり、Stellaさんにちょっかい出してたりしても」 Eva「言う気満々じゃねえかよ」 Veris「まあ……はい」 そこで少しだけ、Verisの口元が確かに緩んだ。 Evaはそれを見て、ようやく少しだけ息を抜いた。 Eva「そういうので頼む。どうせ長い付き合いになるからな」 Verisは少しはっとする。 長い付き合い。当初は怪我が治ったら出ていくつもりだったのに、いつの間にか研究室の一員として歩むことになっていた。 だが、今の彼女にはそれを拒む理由など見えていなかった。ぐうたらな同居人との約束を守るために。 Verisは目を閉じる。そして、か細いがはっきりとした声で、Evaの瞳を見つめながら答えた。 Veris「……わかりました。」 Eva「…ほんと?」 Veris「……努力します」 Eva「ずるい奴のする返しだな」 Veris「……あなたに言われたくありませんよ」 掠れているくせに、返しだけはしっかり帰ってきた。 Evaは短く笑う。疲れた笑いだったが、昼間みたいな乾いたものではない。 Eva「その感じでやってこ」 Veris「……はい」 Eva「じゃもう遅いから。重症じゃないから数日寝てれば動けるようになるはずだよ」 Veris「……その間どうするつもりですか」 Eva「触れないで欲しいな」 Veris「……私が動けないからって、またずっと寝てるつもりですか」 Eva「ちょ、そこまで早くやれとまでは言ってない」 Verisは呆れながらも少し目を閉じる。 痛みはまだあるし、頭の中も完全には片づいていない。それでも、さっきまでよりは少しだけ息がしやすかった。
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