ep1.5:"清算と再出発" sec-3

翌朝。 時計の針は六時を少し回った頃。やや多めの雪が朝日を隠し、研究室は薄暗いまま。 そんな中、一人の少女が夢の現実の境界を彷徨っている。 こくり。 こくり。 何度も頭が落ちる。 眠い。 どう考えても眠い。 それでも、抗い続けてはぼんやりと玄関の方を眺め、またうとうとする。 幾度となくその光景が繰り返されていた。 やがて。 「ガチャッ」 玄関のドアが少し乱暴に開く。 冷たい朝の空気と一緒にEvaが入ってきた。 髪はぼさぼさ。コートには雪が残り、シャツには細かな皺が増えている。 一晩中ほとんど休んでいないことが、一目で分かった。 音に反応したStellaは反射的に顔を上げようとするが、眠気についていけず非常にゆったりとしていた。 Stella「……おかえり」 半分夢の中みたいな声で、Evaを見つめながら呟く。 Eva「ただいま」 鞄を床へ置き、そのまま壁にもたれかかった。 Eva「……成功。患者も無事」 Stellaはぼんやり頷く。 Eva「それからさ……」 少しだけ嫌そうな顔をする。 Eva「……馬鹿みたいな額を押し付けられた。断り切れなかった」 Stella「……うん」 Eva「何なんだろうね。人助けしたら金まで増えるとか」 Eva「意味分かんない」 Stella「……う」 Eva「…聞いてる?」 Stella「きぃて……」 安心しきったStellaはもう夢の中に肩まで浸かっていた。それでも最後の力を振り絞り。 Stella「……おつかれさま」 それだけ呟いた後、ソファから動かなくなった。 Eva「……それだけか」 Stella「……」 もう動かなかった。そんなStellaを見ながら、Evaはいつものように悪態をつく。 Eva「……待ってたくせに、もうちょっと我慢できないのかよ」 Evaはどことなく視線を窓の外に動かす。 人を助けること。それ自体は……嫌いじゃなかった。 病院は嫌いだし、組織も嫌いだ。あの場所で過ごした最後の日々も思い出したくない。 でも。 人を救えた瞬間だけは確かに嫌いではなかった。 その事実を久しぶりに思い出してしまった日だった。 Eva「……最悪」 誰にも聞こえないくらい小さく呟く。 思い出さなくてもよかった感情を考える気力も残っていない中、 EvaはそのままStellaの寝ているソファへ倒れ込む。 ぼふっ、と柔らかな音が響いた後、コートも脱がずに目を閉じると数秒もしないうちに意識が消えていった。 研究室には、疲れ切った二人の穏やかな寝息だけが、夜明けの僅かな日差しと共に部屋にゆっくりと溶け込んでいった。 --- 翌日午後。 窓から差し込む冬の日差しが、研究室をぼんやり照らしている。 Stellaは相変わらず机に向かい、午前中寝てしまった分を取り戻さんと言わんばかりに資料と格闘している。 Evaは……助ける気はないが、ソファで端末を開きながら昨日振り込まれた報酬を眺めていた。 Eva「……」 口座残高は一気に増えている。研究室の運営費を差し引いても、しばらくは何も困らない額だった。 Eva「医者って嫌な仕事だな」 Stella「でもいっぱい貰えたじゃん」 Eva「そういう問題じゃなくて」 Stella「私達には問題なし!」 Eva「問題しかないわ」 Stellaは端末を覗き込み、あからさまな笑顔を向けてくる。 Stella「これならあの機材も買える…あとあの試薬も買って…限定の焼き菓子も買って……」 Eva「私買うと一言も言ってないけど」 Stella「オーナー権限です!」 Eva「……」 会話を諦めたEvaは既に呆れただけの顔になっているが、とどめと言わんばかりに何気ない調子で続けてくる。 Stella「もう何も考えずに手術すれば大丈夫そうじゃない?」 Eva「おまっ……」 流石に勢いよく起き上がる。 Eva「お前、そんな簡単に手術がな」 その瞬間。 "~~~♪" 研究室に着信音が響く。 EvaもStellaも思わず動きを止める。知らない番号である。 Stella「出ないの?」 Eva「……出たくない」 Stella「でも鳴ってるよ」 Eva「見れば分かるから……」 Evaは深いため息を吐き、渋々通話ボタンを押した。 Eva「……もしもし」 相手「Eva先生でしょうか」 Eva「先生はやめろって何回……」 相手「失礼しました。実は紹介を受けまして」 Evaは片手で顔を覆う。 相手「難しい症例で対応できる先生が見つからず」 Eva「……」 相手「ぜひ一度」 Eva「嫌」 即答だった。 相手「まだ何も」 Eva「無理」 相手「資料だけでも」 Eva「断固拒否」 相手「報酬は可能な限り」 Eva「金じゃねえよ」 Stellaは向かいで静かに笑っている。 その笑顔が視界に入るたび、Evaの頭痛が増していく。 Eva「あー……」 心底面倒そうに天井を見上げる。 Eva「あーもう……」 Stellaは隣でにこにこしている。何も言わない。 純粋か悪意かはさておき、ただただどこか楽しそうだった。 Evaはその笑顔を睨みつけながら、また観念した顔でボヤく。 Eva「……今すぐはやめてくれ。資料だけ送っといたら見るから」 相手の声が明るくなる。 相手「ありがとうございます!」 Eva「期待はしないで」 それだけ告げて電話を切る。そして今度はぽやぽや顔と対峙する。 Stella「人気者だね~」 Eva「本当に……」 Evaはソファへ倒れ込む。 Eva「……なんで仕事ってずっとついてくるんだ」 Stella「よかった!!」 Eva「よくない!!」 Stella「研究室助かるよ!!」 Eva「私は助からない!!」 Stella「えへへ」 Eva「笑うな!」 Stella「でもさ、昨日より元気そうだよ」 Stellaがにっこり笑いかける。 Eva「……気のせい」 Stella「嘘だ~」 Eva「……」 Evaも嫌そうに端末を開き、送られてきた資料を流し読みし始める。 「見るだけ」と言ったはずなのに、気付けば細かな所見まで確認していた。 研究室はまだ完成された居場所ではない。 Evaは相変わらず怠け者で、病院の話になれば露骨に顔をしかめる。 Stellaは相変わらず理屈より勢いで突き進み、時々とんでもない一言でEvaを振り回す。 二人の歩幅はまだ噛み合っているとは言えない。 それでも少しずつ、昨日より今日、今日より明日へと、お互いの距離は縮まっていく。 奇妙で、ぎこちなくて、どこか騒がしい。 そんな二人だけの研究室の日常は、ゆっくりと動き始めていた。
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