ep1.5:"清算と再出発" sec-2
翌日。
昨日の重苦しい空気が嘘だったかのように、研究室はいつもの朝を迎えていた。
Stellaは机に向かい、器具を並べながら鼻歌交じりで研究を進めている。
相変わらず理論より勘頼りではあるものの、少しずつ形になり始めていた。
その数メートル後ろで、Evaはソファに寝転びながら端末を眺めていた。
ニュースを流し読みしたり、適当に記事を読んだり、気になった論文を途中まで開いて閉じたり。
だが、昨日の出来事が頭の隅に引っ掛かっているせいか、どれも集中できないままであった。
あまりに手持ちぶさたなのか、何故か口座残高を開き始めた。
激務で金を使う暇すらなかった彼女の懐には、今すぐ困ることはない程度の額が残っている。
しかし。
研究室の隅に積まれた新しい測定機材。棚に増え続ける試薬。昨日届いたばかりの部品。
そしてStellaは何の躊躇もなく消耗品を使いまくっている。
Eva「……」
オーナーが気にしてるかはさておき、この研究室は思った以上に金が飛ぶということに少し気付き始めていた。
切り詰めるところは切り詰めているが、必要な物には投資をしないといけない場面も多い。
あれこれ難しい事を考えているうちに、ふと言葉が漏れる。
Eva「そのうち底が見えるな……」
現状問題ないが、この先ずっと居候をし続けるとなるとそういう訳にはいかなかった。
Eva「……働きたくねぇ」
心の底からそう思ってそうな言葉だった。偶然か否か、そのボヤきにStellaは手を止め振り返る。
そして、彼女は思いがけず切り込んでくる。
Stella「じゃあ手術すればいいじゃん」
Eva「……は?」
一瞬、研究室の空気が止まる。
Evaは嫌そうな顔でゆっくり起き上がる。
Eva「お前な……そんな単純な話じゃ」
Stella「昨日の人のこと?」
Evaの言葉を遮りStellaが今度ははっきりと言う。
Stella「私ね、昨日ずっと考えてた。Evaは本当に医者をやめることを望んでるのかなって。でも違う気がした」
Eva「……なんだ」
Stella「医者が嫌なんじゃなくて病院が嫌なんでしょ?」
その一言でEvaの表情が僅かに固まる。
Stella「昨日、病院の話をした時だけ怒ってたじゃん。患者さんの話じゃなかった」
Eva「……」
Stella「だから私は思ったの。病院で働かなきゃ、お医者さんってできないの?」
Evaは小さくため息を吐き、まためんどくさそうな顔になる。
Eva「……ほんと、お前は昔っからたまに、とんでもなく面倒くさいところを突いてきやがるな」
Stellaは悪びれず笑う。
Stella「当たり?」
Eva「なわけあるか」
Evaは反論しようと口を開くが、昨日までとは違い、少しだけ勢いを失っていた。
Eva「……お前の言いたいことは的を射てないとも言わない。だがな、私は免職になった人間だ。理由が何であれ、組織から『医者として相応しくない』って判断されたんだぞ。そんな人間が今さらメスを握る資格なんてない」
Stellaはすぐには返さない。
Eva「患者を助けたいとか、そんな綺麗事じゃ済まない仕事なんだ。一つ判断を間違えれば、人が死ぬ仕事だ。だからこそ、医者には信用というものが不可欠だ」
Stella「……」
Eva「その信用を、私は失った。それで終わりだ」
Evaが話を終えようとするが、Stellaがまた遮ってくる。しかも昨日より厄介になって。
Stella「でも人を助けたい気持ちはあるんでしょ?」
Eva「……私の話聞いてた?」
Stella「だから医者になったんでしょ?」
その瞬間、Evaの視線が止まる。
胸の奥に、昔の記憶が過る。
高校時代。
病室。
眠ったまま目を覚まさない少女。
"お前が必要だ"
その誓いは、たった一人の、愛想も態度も悪すぎる親友がくれた誓いであり、異常な執念で成し遂げたものだった。
思わずEvaは目を逸らす。
Eva「……違う」
Stella「え?」
Eva「いや……」
言いかけて、飲み込む。
その理由だけは口にしたくなかった。
Eva「……そういう話じゃない」
Stellaはじっと待っている。まるで間違いじゃないと言わんばかりに待ち構えている。
察したのか、Evaは観念したように肩を落とした。
Eva「あのな……仮に気持ちがあったとしてもな……法律だってあるし……病院の設備だって……責任の所在だって……そんな簡単に」
Stella「大丈夫だって!!」
言い訳を並べるEvaをまた黙らせるくらいの大声をStellaが出した。
Eva「……は?」
Stella「その時はなんとかなるって!」
Eva「おまっ……」
Stella「だからさ!!」
Eva「説明になってないっつーの」
Stella「研究室だって最初は何もなかったけどさ、何とかなったよ!」
Eva「医療と同列に語ってくんじゃねえ」
Stella「じゃあ何とかなるように頑張るから!」
Eva「雑!」
Stella「雑なのが私の取り柄でしょ!」
Eva「なわけあるか……」
Stellaはけらけら笑う。
ムチャクチャな理論だが、その笑顔を見ていると不思議と強引さに悪意がないことだけは伝わってくる。
「人を助けたい」という、その部分だけは間違いなく核心をついている自信から来る強引さは、あまりにも強大すぎた。
Eva「……どうせ途中で『無理だ』ってなるだろ」
Stella「ならないよ。Evaがいるもん」
Eva「……」
Stella「一人じゃないなら、何とかなる気がする」
大学時代から変わらない。
根拠なんて何もないのに、Stellaは本気でそう信じている。
やがてEvaは長いため息をつき、ソファへ沈み込んだ。
Eva「……お前さ」
Stella「ん?」
Eva「本当に面倒くさい」
Stella「褒めてない?」
Eva「……押し切れば何とかなると思ってるだろ」
Stella「うん!」
Eva「否定してくれ……」
呆れ半分、諦め半分。
昨日までなら即座に切り捨てていた話に、何故か押されている。
人を救いたい。その事実だけが、Eva自身をいちばん困らせていた。
Evaは天井を見上げたままかなりの時間動かず、やがて盛大なため息をついた。
Eva「……はぁぁぁ」
そして、机の端に置かれた一枚の紙へ手を伸ばす。
昨日、あの女性が置いていった連絡先。それをしばらく眺める。
Stellaは何も言わず、ただ静かに見守っている。
Eva「……もう二度とやらないから」
誰に向けた宣言なのかも分からないまま、小さく呟く。
そして端末を手に取り、番号を入力した。
女性「……もしもし?」
Eva「私」
女性「Eva先生……!」
Eva「先生はやめて」
女性「す、すみません」
Eva「……一回だけだから。これで本当に最後」
女性「……!」
Eva「患者の情報を全部持ってきて。検査結果、画像、投薬歴、全部寄越す。1個でも無かったらやらない」
女性「はい!」
Eva「それで見てから、無理なら無理って言うから」
女性「それでも……!」
Eva「……成功も保証しない」
女性「……はい」
Eva「……じゃあ今晩、研究室まで来て。それじゃとっとこ必要なもの用意してきたら」
女性「ありがとうございます!!!」
電話が切れた。途端にさっきとは対照的な大声が響く。
Stella「やった!!!」
Eva「うるさ……まだ成功すらしてないけど」
Stella「でも、一歩進んだよ!」
Eva「……誰が進めさせたんだよ」
Stella「えへへ」
------------------------------------
夜。
外は再び雪が降り始めていた。
Evaはコートを羽織り、小さな鞄を肩へ掛ける。
中には聴診器や筆記具。医師時代から使い続けてきた最低限の道具だけ。
玄関で靴を履きながら、皮肉そうに呟く。
Eva「……人生ってのは本当に趣味が悪い」
Stellaは隣で静かに聞いている。
Eva「朝くらいには帰りたい」
Stella「うん」
Eva「…もし帰れそうになかったら」
Stella「ずっと待ってるから、任せて」
それだけだった。
手術の事は何一つ聞こうとせず、ただ、彼女の出発だけを見送る。
Eva「……聞かないんだ」
Stella「聞いてほしかった?」
Eva「……もう」
Stellaはにこりと笑う。
Stella「頑張ってね」
その一言にEvaは少しだけ視線を逸らした。
余計な励ましも。無責任な期待も。
「絶対大丈夫」なんて言葉もない。
ただ送り出してくれるということだけが、今の自分には本当にちょうどよかった。
Eva「……それじゃ」
Stella「いってらっしゃい」
Evaは小さく頷き、研究室のドアノブへ手を掛ける。
冷たい夜気が隙間から流れ込む。
ゆっくりとドアを開け、Evaは雪の降る夜へ足を踏み出した。