ep1:"再会" sec-3

翌朝。 研究室の窓から差し込む冬の日差しは弱く、外は相変わらず雪景色だった。 Evaは昨夜よりは幾分ましな顔色をしているが、今度は別の問題が発生しており重い顔のまま。 テーブルにはノートPC。 画面には求人情報や病院の一覧、行政の手続き、賃貸情報。 いくつものページを開いては閉じ、また別のページを開くを繰り返している。 結局、何一つ進んでいなかった。 やがてキッチンから出てきたStellaが二人分のコーヒーを持ってくる。 Stella「おはよー」 Eva「ん」 マグカップを受け取るが、すぐには飲まない。 また画面を見る。閉じる。考える。 その繰り返しだった。 Stellaは向かいの椅子に腰掛け、少し様子を眺めてから口を開いた。 Stella「……そっか、お医者さん辞めたって言ってたし……これからどうするの?」 Evaの指が止まる。数秒考えてから、小さく答えた。 Eva「……知らん」 Stella「し、知らんって……」 Eva「知らんものは知らん」 Stella「……本当に辞めちゃったの?」 Eva「……ああ。住んでた寮から必要な物だけ持って出てきた。戻る気はない」 Stella「……そうなんだ」 Stellaは少し心配そうな顔になる。Evaはあまり気にせず画面を見つめたまま続ける。 Eva「まあ私優秀だし、仕事は見つかるとは思うが流石にすぐにはエンジンがかからなくてな……」 Stella「ふーん」 Eva「まあ嘆いても仕方ないし、一から考え直してるって訳……働きたくねぇ……」 そう言ってコーヒーを一口飲む。 Stellaは何も言わず、マグカップを両手で包みながら、じっとEvaを見ている。 Stella「……ずいぶんぐうたらになってない?」 Eva「何がだ」 Stella「いや……大学の時は寝る間も惜しんで勉強してたのに……」 Eva「……もう疲れた」 そう告げてEvaはソファに深く沈みこんだ。ずっと走り続けてた彼女も、流石に堪えたのだろう。 だが、Stellaは心配よりも別の事をゆっくりと考えていた。 研究室の時計だけが静かに音を立てる中、やがてStellaが、小さく息を吸った。 Stella「……ねえ」 Eva「何」 Stella「どこにも行かないんだったさ」 もう一度、少しだけ間を置く。 Stella「ここで、一緒に住もうよ」 Evaの思考が止まった。 「……はあ?」 Stellaは照れたように笑う。 Stella「この研究室、ママのだから部屋沢山余ってるんだよね……研究室も広いし、悪くないよ。行く場所無いんでしょ?」 Evaは数秒固まったまま、ようやく口を開く。 Eva「いやいやいや……ちょっと待て、今お前、同居しようって言ったか?」 Stella「う、うん」 Evaは額を押さえた。 まだ酒が残っているのかと思うくらい、理解が追いつかない。 Eva「……今は金があるからなんとかなるが、ずっとここになんていられない」 Stella「家賃なんていらないよ」 Eva「私がダメなんだよ」 Stella「……いやだ?」 Eva「そうじゃなくてさ……現実的に色々あるでしょ」 Stella「例えば?」 Evaは一緒に住もう、と言う言葉を聞いた瞬間社会的な立場やら生活費やら仕事のことを考えていた。 だが、いくらでも挙げられるはずなのに何故か言葉にならない。 Eva「……色々なんだって」 Stella「その『色々』ってなに?」 Eva「だから色々なんだよ……金とか……仕事とか……」 Stella「住む場所ないんでしょ?」 Eva「……ないな」 Stella「困った時はお互いさまだって!」 Evaは難しい顔のまま黙り込む。 Stellaの事が嫌いなわけではない。だが自分の中の何かが歯止めをかけ続けて、断る理由を探している。 Eva「……私はもう昔みたいに生真面目になれない」 Stella「え?」 Eva「だから、ここに居座る資格なんて……ない」 Stella「……」 Evaは言い訳みたいに続ける。 Eva「医者でもないし、研究者でもないし、宙ぶらりんで、しかも——」 Stella「もう!!!」 Eva「え」 Stella「そういうのいいから!!」 勢いのまま立ち上がった後、少し落ち着いて机に軽く手をつく。 Stella「……私さ、ずっと頑張ってきたと思う。研究も、研究室も、なんとか形にして、ちゃんと回してきたつもりなの」 少しだけ息を吸う。 Stella「でもね、それでもさ」 Eva「……」 Stella「やっぱり、寂しかった」 Evaの眉がわずかに動く。 Stella「Evaと離れてからずっと一人で、分からない事ばっかりでだれにも頼れないままやってきてるし、私はやっぱり弱いんだなって感じちゃった」 Eva「……うん」 Stella「だからさ、昨日雪に埋もれてるEvaを見つけた時、本当はすっごい嬉しかった。びっくりはしたけどね!!」 Evaは目を見開いている。 Stella「大学の時、何回もEvaは助けてくれたでしょ」 Eva「……そうだっけ」 Stella「もう!そんなつまらないことで自分を殺すなって、すっごくひどいこと言われた。そのおかげで、私、ちゃんとここまで来れた」 そしてEvaの目をはっきり見ながら言った。 Stella「だから今度は、私が助ける番」 Eva「……」 長いような短いような沈黙が続いた。やがて、Evaが苦笑しながら口を開く。 Eva「……そこまで言われちゃ誰も敵わん」 Stella「何その言い方」 Eva「事実だから」 Stella「褒めてる?」 Eva「...半分は」 Stella「残り半分は?」 Eva「...こいつダル」 Stella「ひどい!」 Evaは軽く笑いながら、覚悟を決めたかのように答える。 Eva「……分かった」 Stella「え」 Eva「分かったって言ってる」 Stella「ほんとに!?」 Eva「ただし条件。私、本当に何もしないよ」 Stella「……何もしないって何?」 Eva「居るだけだから。家賃はちゃんと払うけど」 Stella「いいよそんなの」 Eva「あと……掃除も無理。洗濯も」 Stella「そこはして!」 Eva「えぇ……」 Evaは如何にも嫌そうな顔をしているが、その顔は少し笑っているようにも見える。 やがて堰を切ったように、研究室に初めて大きな声が響いた。 Stella「やったーーーーーー!!!!!!」 Eva「……うるさ」 注意されてもStellaは喜ぶのをやめない。 Stella「じゃあ今からEvaは、研究室の一員です!!買い出ししたり空き部屋片づけたりしたり……あっ、下着は自分で買ってね」 Eva「話が早すぎるだろ……」 全く話を聞いていないStellaの満面の笑みを見て、Evaはなんとなくボヤく。 Eva「……まあ、こういうのも運命という奴か。何度も気まぐれな奴だ」 その返事は、ほんの少しだけ諦めが混ざっていて。 でも同時に、どこか居心地の悪くない響きでもあった。 --- 翌朝。 研究室には穏やかな朝日が差し込んでいた。 Stellaはいつものように机へ向かい、研究資料を広げていた。 一方、その数メートル先。 Evaのお気に入りになったらしいソファの上では。 Eva「……」 微動だにしていなかった。 膝の上に本を一冊開いているものの、読んでいるのか景色を眺めているのかよく分からない。 完全にくつろいでいる。 Stella「……」 Evaの方をちらっと見るが、全く動いていない。 十分後。 まだ動かない。 三十分後。 姿勢だけ少し変わった。 Stella「……ねえ」 Eva「何」 Stella「ほ、本当に何もしない気?」 Evaはページを一枚めくる。 Eva「そうだけど」 Stella「昨日の宣言、本気だったの!?」 Eva「だから言ったじゃん。私、本当に何もしないって」 Stella「あれ冗談じゃなかったの!?」 Eva「私は基本、言ったことは守るからな」 Stella「ずるいとこだけしっかりしないでよ!」 Stellaは慌てたように思わず続ける。 Stella「せめて掃除くらいして!」 Eva「やだ」 Stella「荷物運ぶとか!」 Eva「重い」 Stella「資料整理!」 Eva「眠い」 Stella「何ならできるの!?」 Evaは少し考える。 本当に少しだけ考えてから答えた。 Eva「……今から考える」 Stella「えぇ!?」 Eva「あー……気が向いたら……お前のよく分からない研究見ててやるから……分かりそうなら教える」 Stella「適当すぎるよ!」 Evaはソファにもたれながら、実験台の方を見る。 薬品を混ぜたり、何かを書き留めたり、機械の前で首を傾げたり。 二年前より少しだけ成長した研究者が、慌ただしく動き回っている。 Eva「忙しそうだね」 Stella「忙しいよ!」 Eva「そうなんだ。頑張って」 Stella「他人事!!」 Stellaは思わず机を軽く叩く。 Stella「ちょっとくらい働いてよ!」 Eva「契約にありません」 Stella「契約とかじゃなくて!」 研究室に声が響く。 少し前まで静まり返っていた空間とは思えないくらい賑やかだった。 Stellaは頬を膨らませてEvaを見る。 Evaはそんな様子を面白そうに眺めている。 Stella「もー!」 怒っている。 ……はずなのに。 その顔は。 驚くほど楽しそうだった。 誰かに文句を言いながら笑うのは大学時代以来かもしれない。 Evaもその笑顔を見て、小さく息を吐く。 Eva「……元気だね」 Stella「誰のせいだと思ってるの!」 Eva「私?」 Stella「そうだって!」 Eva「ならいいか」 Stella「開き直らないで!」 二人のやり取りが、また研究室に響く。 何もしない居候と。 何だかんだ面倒を見る研究者。 始まり方としては最悪だが、案外こういうものなのかもしれない。 一人だった研究室は、もう一人ではなくなった。 Stella「今日のお昼、何か頼むけど何がいい?」 Eva「寿司」 Stella「贅沢すぎない!?」 Eva「私めっちゃ貯金あるから、私出すから」 Stella「え、えぇ~……まあ……いい……かな?」 研究室に、また笑い声が響く。 こうして。 二人の、新しい研究室での生活が静かに幕を開けた。
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