ep4.5:"リハビリ" sec-3
数週間後。
病室の窓から入る光は、最初にここへ来た頃より少しだけ柔らかく見えた。
Quanはもう病衣ではなく、外出用に近い簡素な服を着ていた。左脚の義足も仮合わせの無機質さは残っているが、装着の手つきには以前ほどの迷いはない。
ベッド脇のテーブルには、退院説明の紙と、薬の一覧と、今後の通院予定。
いかにも「終わりかけ」の景色だった。
Evaは窓際に寄りかかりながら、その紙束をぱらぱら見ていた。
Eva「あー……ご退院おめでとうございます?」
Quan「真面目にやれ」
Eva「あまりに真面目だろ」
Quan「その顔と声は全くその気を感じられない」
Eva「人の気持ち分からん奴が求めてくるなよそんなの」
Evaはさっさと書類を置いて、Quanの義足のベルト位置を一瞥する。
Eva「で、今日は痛みどう」
Quan「ほぼ感じない」
Eva「歩行時の違和感」
Quan「若干あるが、自立可能な範囲だ」
Eva「ふーん」
Quan「何だ」
Eva「いや。ちゃんと答えるようになったなって」
Quanが眉を寄せる。
Quan「誰のせいだと思ってる」
Eva「私のせいだと思ってるなら、ちゃーんと躾出来たなって安心だわ」
Quan「躾という言い方をやめろ」
Eva「でも躾けられてよかったでしょ」
Quanはベッド端に腰掛けたまま、少しだけ視線を逸らしたまま黙り込んだ。その沈黙がいつもより妙だった。
Evaはすぐに気づく。
Eva「何」
Quan「何、とは」
Eva「なんか言いたいことあるでしょ」
Quan「別にない」
Eva「嘘。あんたがそういう時、だいたいあるから」
Quanは返さない。返さないまま、義足を指先で軽くなぞる。
病室の外では、ワゴンの音と看護師の声が遠くに通り過ぎていき中途半端な静寂が流れている。
答えないQuanをよそに、Evaは窓際から離れて少し近くの丸椅子に座る。
Eva「……もう帰っていいかな」
Quan「……お前」
Eva「ん」
Quan「ここ数週間、来すぎだ」
Evaが一拍置いてから吹き出す。
Eva「何それ。苦情?」
Quan「違う」
Eva「言い方が完全に苦情なんだよ」
Quan「話の腰を折るな」
Quanは不機嫌そうに眉間へしわを寄せたが、そのまま続ける。
Quan「……最初は、お前の義理か責任感だと思ってた」
Eva「半分はそうだったかも」
Quan「もう半分は」
Eva「暇つぶし」
Quan「……クソ野郎」
Evaはニヤニヤしている。
いつもならQuanが不快な顔のまま切り捨てているが、今回は珍しく言葉を探すように間を置く。
Quan「……だが」
Eva「うん?」
Quan「結果としては、有効だった」
Evaがわざと首を傾げる。
Eva「有効?」
Quan「そうだ」
Eva「……もしかして感謝しようとしてる?」
Quan「最後まで聞け」
Eva「んもう、ずいぶん回りくどいね」
Quan「お前相手に素直な言い方をする義理はない。こうやって馬鹿にされるから」
Evaは笑いを噛み殺しながら、肘を膝に乗せる。
Eva「はいはい。続けてどうぞ、Quanさん……w」
Quan「その呼び方はやめろ」
Eva「照れてるくせに」
Quan「照れてない」
Eva「耳赤いよ」
Quan「……気のせい」
Quanは心底不本意そうに目を細めたあと、やがて観念したように小さく息を吐いた。
Quan「……私が起きた直後、状況はすぐに理解できた。だが、そのあと実際に動こうとして、想定よりはるかに身体が使えなかった」
その声音は、昔みたいな無機質な説明口調である。だが、僅かに揺れている。
Quan「自分の事は分かっていたつもりだった。筋力低下も、右足が無い事も、義足への適応も。理屈は全部理解していた」
Eva「うん」
Quan「理解していたはずだったのに、実際は……思ったよりずっと面倒だった」
Evaは口を挟まない。
Quan「何度も転ぶし苦痛を味わった。自分の身体を切り捨てたくなったことだってあった」
Quanはそこで少しだけ視線を落とす。普段の威圧的な雰囲気は全く消えている。
Quan「……そういう時にお前が毎回来て」
Eva「うん」
Quan「鬱陶しいくらい見られて」
Eva「うん」
Quan「必要な時だけ手を出してくるし、余計な時には出さないし」
Eva「懐かしいな」
Quan「……転んだ時も、失敗した時も、適当な事しか言わないくせに、肝心なとこは突いてきやがる」
Eva「そりゃどうも」
Quan「……お前、そういうところが本当に嫌いだ」
Evaがまた吹き出す。
Eva「感謝の仕方ひどくない?」
Quan「事実でしかない」
Eva「便利だねそれ」
やがてQuanは一瞬だけ黙ってから、今度はEvaの方をはっきりと見る様な見てないような表情で、軽く告げた。
Quan「……ありがとう」
それ以上は何も言わなかった。
たったそれだけなのに、病室の空気が少し止まる。
Evaは一瞬だけ真剣な顔で受け止めていたが、やがて咀嚼してしまったのか悪い顔になり始める。
Eva「……お?」
Quan「……」
Eva「今、素直になった?」
Quan「……だから嫌だったんだ」
Eva「へえ~~~」
Evaのニヤニヤがあからさまになり始める。
Eva「ちょっと待って、録音するから今のもう一回言って」
Quan「本気でやめろ、殺すぞ」
Eva「だって一生に一回あるかどうかだろ!高校ん時でも聞いたことなかったぞ」
Quanは耳まで赤くなりかけて、露骨に視線を逸らしている。
その反応があまりに珍しくて、Evaはとうとう肩を震わせて笑い始める。
Eva「ははは!!!やっば、そんな顔するんだw」
Quan「…………死ね……」
Eva「茶化したくもなるでしょ!普段こんなこと絶対言わないじゃん」
Quan「言う必要も義理もない」
Eva「じゃ、今日はあったんだ」
Quanは黙りこき、めり込むくらいの勢いで布団を握りしめている。
笑い疲れたEvaはやがていつもの気だるげな顔に戻っていく。
Eva「ま、これくらいにしとこか。ちゃんと受け取ったから」
Quan「……軽いな」
Eva「重く受け取ったら気まずいでしょ、あんたが」
Quan「気まずくはない」
Eva「その嘘で通すのは無理があるぞ」
Quan「嘘ではない」
Eva「嘘」
Quan「じゃない」
Eva「うそうそ」
Quan「いい加減にしろ」
小学生みたいな応酬を数秒続けたあと、Evaが先に折れるように笑った。
Eva「はいはい。じゃ、真面目に返すとするか」
Evaの表情が柔らかくなる。
Eva「……最初はほんと面倒だったね。あんた、起きたばっかのくせに偉そうだし、転ぶたび変な声出すし、すぐ無茶するし」
Quan「そこを列挙する必要あるか?」
Eva「あるよ。面白いから」
Quan「本当に死んでくれ」
Evaはまた笑った後、また真面目な顔に戻る。
Eva「それでも、ちゃんと前に進んでくのを見てるのは、来た甲斐があったと思ってるよ」
Quanは何も言わない。
Eva「あと、あんたが思ったよりちゃんと弱るのも分かったし」
Quan「……さっきからおふざけか真面目かどちらかにしろ」
Eva「分かった分かった。それで……私も感謝することがあるかな」
Quan「……どういう意味だ」
Eva「そのまま。あんたがちゃんと起きたから、私も少しは退屈しなかったし」
Quan「……理由になっていない」
Eva「私はあんたみたいに理屈で生きてないの」
Quanはもはや、コイツと対峙したくないと言わんばかりの諦めたような顔をしている。
Evaはそれを見て、満足そうに笑った。
Eva「まあいいや。面白かったし今日はこれで勘弁したげる」
Quan「最低」
Eva「でも、受け取ったからね」
Quan「……そうか」
Eva「うん。…………忘れた頃にまた擦るつもり」
Quan「本当に最悪だなお前」
Eva「どうも」
Evaは笑ったまま答え、窓の方へ振り返る。
病室の光は明るく、退院前の空気は妙に乾いていた。