introduction
昼とも午後ともつかない、白くゆるんだ時間。
半開きの窓から秋風が机の上の紙をぱらぱらと鳴らす。試験管、金装飾の魔道具、開きっぱなしの魔術書、飲みかけのブラックコーヒー。棚には本・何かの部品、用途不明のガラクタ箱が容赦なく詰め込まれている。
研究室というには生活の気配が濃く、住処というには得体の知れないものが多すぎる。きちんと整えられてできた場所というより、行き場を失くしたものがそのまま流れ着き、堆積し続けているような空間だった。
そして、そこで暮らす五人も、大体似たようなものだった。
Stella「ねえー、窓際の紙また飛びそうなんだけどー」
最初にそう言ったのはStellaだった。
言っただけで、自分では拾いに行かない。
この研究室の主である彼女は、いつも楽しそうにしている。細かい理屈や順序より、その場の空気とか人の顔色とか、そういう曖昧なものを優先する女だった。明るくて、気まぐれで、思いつきで動くくせに、場が本当にばらばらになりそうな時だけは妙に鋭い。研究者としてはぽやぽやしているのに、人が居つく場所を作ることにかけては妙に上手い。
この研究室が居場所として成立しているのは、たぶん彼女のせいだった。
Veris「見えてるなら取ってくださいよ...」
呆れた声で返したのはVerisだった。
抱えていたノートを机に置きながら、きっちり眉をひそめている。
彼女はこの研究室の中でいちばん真面目だ。公平さとか秩序とか、そういうものを律儀に信じている。散らかっていれば片づけ、危ないことをしていれば止めに入り、誰もやらない雑務を結局自分で引き受ける。言葉遣いも態度もきちんとしていて、ぱっと見ならこの研究室で唯一マトモな人間に見えるだろう。
ただし、マトモな人間がここにいると、だいたい損をする。
Eva「別にいいじゃん、そのくらいさ」
ソファの上から気のない声が落ちた。
Evaは長椅子に深く沈み込み、片手をだらりと垂らしたまま、面倒くさそうに彼女らを見ていた。このぐうたら女はこれでも名だたる名医者、だった。頭も回るし、必要になれば誰より速く、誰より正確に動く。けれど、必要でない時の彼女は驚くほど動かない。面倒くさがりで、皮肉屋で、平時のやる気は小汚いソファに身体ごと沈み込んでいる。
それでも、いざという時に一番頼れるのが誰かと問われれば、この研究室の住人はたぶん全員、不服そうな顔をしながらEvaの名を挙げるだろう。
Veris「よくありません。得体の知れない薬品のそばに紙を放置しないでください」
Eva「その薬品、別に劇薬とかじゃないでしょ」
Veris「そういう問題ではありません!」
Sol「でも大体ロクでもない事ってそういうところから始まるよね」
一世代前のゲーム機を片手にSolが笑った。
彼女は雑だ。態度も発言も素行もだいたい雑である。思いついたことをすぐ口にし、面白そうならたいてい手を出す。慎重さとか分別とか、そういうものと縁がないというか、縁を切りに行っているレベルである。
しかしながら、一筋縄ではいかない生き物でもある。彼女は目に包帯を覆っており、実のところ視力を失っている。
そのくせして、適当に放った一言がやけに核心を突いたり、誰も見ていなかった綻びをその凄まじい直感や感覚だけで拾ったりする。勘で生きているのかといえば本人も肯定するだろうが、その勘がたまに理屈をごぼう抜きにするから厄介な存在である。
研究者として正しいかと問われれば確実に違う。だが、研究室から外せるかと問われると、それもまた違う。
Sol「Verisさー、なんかここ最近毎日ちょっとずつ声大きくなってない?」
Veris「あなたたちが好き放題するからでしょうが!!」
Quan「...うるさい」
部屋の隅では、Quanが本から目も上げずにページをめくっている。
Quanは天才だ。そういう言い方でも説明がつかないくらい、超越した知能を持つ。理論構築・推論・判断においてこの研究室の誰よりも速く、優れている。研究の話をさせれば一番深く、一番遠くまで行けるだろう。
しかしながら、人と対峙するとコイツは壊滅的である。投げつける言葉は率直というより刺々しく、情緒に配慮するという気がさらさらない、というか意図的にやっている。
この研究室の知性のかなりの部分は彼女が支えているが、空気の悪さのほとんどもまた彼女が担っているのが事実である。
Quan「騒ぐ前に保管場所を固定しろ。何度同じことを繰り返したら済むんだお前らは」
Veris「分かってますよ...誰かが協力してくれればもっと早いんですけど?」
Quan「断る」
Veris「もう!!」
Sol「通常営業だね~」
Stella「でも、ちょっと楽しそう」
Veris「楽しそうに見えるなら重症です」
そのやり取りの最中にも、Verisは紙を揃え、マグカップを端に寄せ、机の上を最低限の形に戻していく。半分は怒りで、半分は義務感だった。
この研究室には、綺麗に役割分担された秩序なんてものはない。
Stellaは自由奔放、Evaは惰眠を貪る、Solは余計なことしかしない、Quanは協調という概念を放り投げている。そうなると残るのはVerisくらいだ。
そしてVerisは、自分がその役目を押しつけられていることに薄々気づきつつも、見て見ぬふりをするほど開き直れない女である。
Stella「Veris、お茶でも飲む?」
Veris「急ですね」
Stella「疲れてそうだから」
Eva「それはそう」
Veris「誰のせいだと思ってるんですか……」
Stellaが笑いながらポットを覗き込み、次の瞬間、少しだけ首をかしげた。
Stella「あれ、昨日のハーブまだ入ってたかも」
Veris「入ってたかも、じゃないです」
Sol「どれどれ」
止めるより先に、Solがカップに少しだけ注いで口をつける。
Sol「……飲めるけど、なんかケミカルな味がする~」
Eva「最悪の感想」
Quan「感覚だけは一流だな」
Veris「褒めないでください」
Stella「じゃあ新しく沸かそっか」
Eva「最初からそうして」
Veris「そうしてください、本当に」
Stellaがぽやぽやとケトルを手に取る中、
窓の外でまた風が鳴る。
机の上の紙が少しめくれ、散らかった部屋のあちこちで、違う温度の五人がゆるく同じ時間を過ごしている。
真面目な委員長気質も、だるげな元医者も、勘ばかり鋭い厄介者も、冷たい高性能も、そしてそれを何となくで受け入れてしまう主も。
本来なら同じ場所に落ち着くはずのなかったものたちが、妙な偶然と成り行きでここに引っかかっている。
彼女らはまさしく漂着者であった。
Veris「...で、結局これ誰が洗うんですか」
四人とも、揃って目を逸らした。
Veris「逃げないでください」
Stella「ねえねえ、このエルダーフラワーって奴美味しそうじゃない?煎れちゃお~」
Eva「話聞いてんのかお前」
Quan「問題の先送りでしかない」
Sol「でもそれっぽい解決策ではあるね」
Veris「そこじゃありません!」
研究室に声が響く。
Stellaがけらけら笑い、Verisはプンスコ怒り、Evaはまたソファに沈み、Solは面白そうに肩を揺らし、Quanはどうでも良さそうに本を読み続けている。
漂着研究室の午後は、大体いつもそんなふうに始まるのだった。